まずは自分が信じること

 他人のことはわからないと言いましたが、だからと言って私は他人の考えを全く気にせず自分中心で生きている訳ではありません。何らかの理由で接点を持つ必要がある相手が出てきた場合には、何よりもまず相手のことを信じることから始めます。

 この社会に生きている以上、他人との関わりなしには物事は進みません。そしてそこには必ず自分の意思と他人の意思の衝突が生まれます。多くの場合は一方が他方の意思を全面的に受け入れることで円滑な関係が築かれます。もしすべてがそういう具合なら何も問題は起きないのですが、どうしてもそこにはお互いの意思の押し付け合いや意思のすれ違いといったことがが起こってしまいます。

 こうしたことが起こるのはお互いが相手の意思より自分の意思を優先するあまり、双方ともにかどちらか一方が自分の意思を相手に押し付けた結果と言えるでしょう。その先に待っているのは全く不毛な意思の押し付け合いか、一方が折れて不承不承ながらも他方の意思を通すこととなり、いずれにしろ好ましい結果を得たとは言えません。長い間生きてきてそうした不毛な意思の衝突を飽きるほど見てきたというのに、その経験から何も学ぶことなく高齢者になっているとしたら、あまりにも残念な姿というものでしょう。

 この点においては私自身も例外ではありません。意思がぶつかり合えば相手の意思を尊重しつつも納得いくまで意思を戦わせるでしょう、その結果物別れに終わってしまうことも当然起こります。しかし私は何らかの妥協点が見つかったならば、先ずは相手を信じることにしています。相手の意思に対して自分が信じたのであれば、たとえ結果が思わしくないものであっても、また相手の裏切り行為にあったとしても、それはすべて信じた自分の責めに帰すことになるからです。

 世渡りが下手と言えばそのとおりですが、私はこれまでの人生をこの考え方で生きてきました。その結果ひどい裏切りを受けたこともあります。ただ幸運なことにそうした状況を乗り越えられたし、世間の厳しさも学ばせてもらったと思っています。もちろんこの先にまた裏切られない保証などないし、次に起きた時には絶望から人間不信になってしまうかもしれません。

 それでもやはり信じることから関係を築いていく以外に、私には方法がないと思っています。常に疑心暗鬼にかられ疑いの目をもって相手を見続けているよりは、自分が信じた結果と割り切ってその先に歩みを進める、損ばかりの人生かもしれませんが私の生き方はこれが好ましいと思っています。