昨年亡くなられた曽野綾子さんの本を読んでいるときに、今の人達はすぐに「もらわなきゃ損よ」「もらえば得じゃない」と損得勘定をする、という記述を見てまさしくその通りだと痛感しました。以前にも書きましたが、「ポイ活」などと言ってはポイントを利用してお得な買い物をすることにかなりのエネルギーを費やしている方が私の周りにもかなりの数確認できます。ポイントで買えるのだから使わなきゃ損、ポイントで買えば得と言っては販売店側の策にはまっているようにしか思えませんが。
確かに限られた生活費の中からより効率の良い支出を心がけるのは必要ですが、その際の判断基準が損得というのはいかがなものかと思わずにいられません。日々の暮らしの中で買い物の度に損得勘定ばかりしていると、自ずと損は悪、得は善という意識が刷り込まれてしまい、極端な場合損は絶対に許せないといった過激な考え方に到達してしまいます。こうなってしまうととにかく目先の得にまず目が行くため、長い目でものを見ることができなくなり、次第に顔つきも欲深そうになっていくような気がします。
私からすれば損や得なんてほんの一瞬のことでしかないのに、なんでそんなに必死なのか不思議です。それも私と同年代かより年配の方が損得勘定に必死になっていると、この世に損得勘定をしに来たのかと思ってしまいます。高齢者と言われるような年齢になったら、むしろ進んで損な役割を引き受けるくらいの度量が求められるように思います。
高齢者というのは、かつてはステージの真ん中に立とうと努力して、その夢をかなえた人も夢破れた人もいたでしょうが、今やそうした存在ではないのだから、ステージに上がろうとする若者の踏み台になって損を引き受けるくらいの覚悟があってしかるべきと私は思っています。
人生は商売ではありません、従って損を少なく、得を多くした方が好ましいわけではありません。これまでの人生を振り返った時にどのくらい得をしてきたかなど誰も答えられないでしょう。まして死の間際にそんなことを思い浮かべる人なんて誰もいないはずです。
わずかな損に不快な思いを抱き、わずかな得に若干の幸福を感じる、決して間違っているというつもりはありませんが、損得勘定ばかりに執着していると人生なんてあっという間に過ぎ去ってしまいます。
目先の損得の追求よりも、必要と思うことにしっかりと資金を振り向ける、そのことによって得られる充実感を大切にすべきではないかと思います。