人はこの世に生きている以上他人との比較というものを避けることはできません。自分以外の他人という存在があることにより、他人との間での様々な比較を、意識して、時には無意識に行っているのです。そしてその結果が思わしくないと言っては嘆き、思わしいものであれば優越感を得られるという虚しい心の作業を繰り返しているように思います。
とりわけ人を上回りたいという優越感の方に限って言えば、そのために誇張や場合によっては虚偽まで持ち出してくることさえもしばしば耳にします。
私自身は行動や言動で比較をしないよう努めており、以前記載した水の如くのとおりそもそも人の上に立つなどという考えはしません。しかし残念なことに私の心の中では勝手に比較の作業が始まっています。
たとえば世間で広く使われる平均の数値というものに対して、平均が示された瞬間に心は勝手にその数字と私を比較しています。形を問わず私以外の存在を意識した瞬間に、心の中では様々な角度からの比較が行われるのです。こうなると比較することを否定してばかりもいられません。
また比較には好ましい点もあり、自分を高めるためのライバルという存在との比較が好ましいものであることは容易にわかることでしょう。比較があるから目標ができ、その結果として成長があります。さらには自分のレベルや評価を知ることで足りない点やさらに伸ばせる部分を確認でき、もう一歩進むことができるという点でも効果があるといえます。
しかし比較のために本来気にしなくていいものまで気にしてストレスに苦しんだり、ひどいときには自分の精神状態を危うくしかねないほど悩んだりもします。
自分と他者の能力差、学歴や勤務先、年収などの比較はよく行われていますが、現代に生きる多くの人はその状況を見ては絶えず一喜一憂しているように思えます。比較した結果劣等感やストレスになるような比較なら最初からやめておけばいいのにと思ってしまいます。
いま仮に自分の右に自分より恵まれていない(と思っている)人がいて、左には自分より恵まれている(と思っている)人がいたとします。比較をする人は、右を見て優越感を、左を見て劣等感を感じることになるでしょう。でも見る方向を変えただけで自分は何一つ変わっていないのです、それに恵まれているか否かも自分が勝手に思っているだけでしかなく、実際には全く逆かもしれません。
つまるところ大方の比較という作業は他人と比較をしているようでいて、実は自分の優位さを確認するため「自分にとって都合のいい想像」をしているだけなのです。
比較という行為によってさまざまなことを気に病むのが如何に無駄であるかを書いてきましたが、それでも比較をやめられないという方もいるでしょう。人間の持つ「慢の心」に従えばそれもやむを得ないことでもあります。
ただ先ほども述べましたが、所詮自分にとって都合のいい想像をしているだけなのです。それを承知で比較を続けるのであれば好きなだけ続けたらいいと思います。