私の考えの大部分を占めている仏教においては、「この世は苦である」と説かれています。そして代表的な苦である四苦と言えば生、老、病、死の四つを指します。生きていること、老いること、病を得ること、そして死ぬこと、これらはいずれも大いなる苦しみであり、また病以外は決して逃れることはできません。私のように高齢になると嫌でも老と病と死に直面し、その苦しみの強さゆえによりしっかりと向き合わねばならないと感じます。
仏教ではさらにあと四つの苦、即ち愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つですが、これらを合わせて四苦八苦と言います。余談ですがこの中の怨憎会苦という言葉は「嫌いな人に会わなければいけない苦しみ」を表していて、現代社会で多くの人が悩まされ、時に精神を病んでしまうことのある人間関係を、仏教ではすでに苦しみであると定めていたのです。
四苦だけでも十分に苦しいのに、それに加えてあと四つ苦しみがあるのだから、この世は苦しみに満ちていると考えるのが妥当でしょう。しかし本当にそうでしょうか?
長い人生の中には幸せなこと、喜ばしいこと、嬉しいこと、楽しいこと、心地よいことなどいわゆる楽も沢山あふれています。生きている中で楽というものに出会い、その楽が人生に多くあることが好ましいものと理解する、しかし楽はいつでも手に入るものではなくどちらかというと得難いものなので、より一層楽にあこがれてしまうのです。
楽が当たり前であってほしいから、楽ではない状態に置かれると「これは間違っている、もっと楽しいはずだ」と思い込み、思うようにならない不条理な世を嘆くことになります。しかし四苦八苦とあるとおりそもそも人生は苦が当然の姿なのに、楽が続くことがあるべき姿と思うから余計に苦しむのです。
仮に楽が続いたとして本当に楽しいと思えるでしょうか。楽が当たり前になったとしたら、恐らくそれは楽ではなくただの日常であり退屈な毎日と一緒でしょう。昨日感じた楽と同じことが今日もあったとしても、同じように楽とは感じられません。楽を感じ続けるには昨日より今日がより楽でなければならず、そのためには永遠に右肩上がりに楽が増えない限りできませんがそんなことは不可能です。苦の中で見出す楽にこそ楽の真の価値があり、その一方で楽を知った後には必ずまた苦に戻らなければならないのです。
四苦八苦しながら生きるつらい世の中ですが、人生においては苦が当たり前の姿と覚悟して、時たま訪れる楽を存分に楽しむ、やがてその楽が過ぎてしまったら潔くまた苦に戻る、私の生き方はこれでいいと思っています。